政府が原発再稼働に向けて「安全を確認した」と宣言するとき、「津波対策や電源対策を十分に行った」ということが論拠になっていますが、これは「技術的要因」について安全確認をしたと言っているにすぎないのです。
むしろ、いま多くの国民が疑問を抱いているのは、「その技術的な安全確認をする組織と制度が妥当か」ということであり、「推進からの独立性の問題が指摘されている原子力安全・保安院が安全確認をするので良いのか」ということなのです。
すなわち、国民が再稼働に不安を抱く理由は、「技術的要因」を懸念しているからだけでなく、まさに「人的、組織的、制度的、文化的要因」を懸念しているからであることを、政府は理解するべきでしょう。
いま、深刻な福島原発事故を経験したこの時期にこそ、政府と電力会社は、狭い意味での「地元の合意」を得るという発想を超え、広く「国民の納得」を得るという発想へと切り替える必要があるのです。
そして、国民もまた、狭い視野で「地元の利益」や「現在の世代の利益」だけを考えるのではなく、「社会全体の便益」や「未来の世代の便益」を考える発想へと、成熟していく必要があるのです。
(via 誤解だらけの「休肝日」 どれだけ飲んだら飲み過ぎか? :日本経済新聞)
結構古くまちがった知識のままだったな…。飲んでサウナが危ないのはもう常識だと思ってたが、二日酔いについてはアセトアルデヒド説で止まってたし。
■「キンドルがうまくいっているのは米国と英国くらい」
「キンドルが入ってくるからといって、その国の市場が一気に立ち上がり、キンドルが制覇するとは思っていません。実は米国で生まれたキンドルのビジネスモデルが米国以外でフィットしていると言えるのは、同じ英語圏の英国くらい。キンドルが参入しているフランスもスペインもドイツも、北米のカナダすらも、米国と同じようにはうまくいっていないように思えます」
アニメ育ちの日本人は、発想が飛んで話がつながっても結構ついていけます。一方、映画育ちの欧米人(主にアメリカ人)は、結構まじめというか、日本人から見ると頭が固いというか、理屈、ロジックを世界観に求めてきます。
何のことを言っているかというと…、最近のゲーム制作事情です。今、幾つか国をまたいだゲーム制作現場で、繰り返し繰り返し問題になるのがこの世界観の違いです。例えば、巨大モンスターに巨大な剣が刺さっていたとします。日本のゲームデザインチームにとっては、アートワークがかっこいいと、ドラマチックな効果もあるためにあまり問題にされないことが多いのですが、米国になると、「一体誰がこの剣を刺したのか?」 「人間が扱うには大きすぎる」ということにすぐ気がつき、気になってしょうがなくなることもあるようです。
女性キャラクターも、日本的なかわいさがかなりのケース、(米国では)致命傷の欠点になることも多いようです。変にかわいいとゲームがまじめでないと取られたり、色気の方向によっては、作り手にその意思がなくても、キャラクターをゲイっぽい亜流として捉えるのです。また、コマーシャルの観点からはアニメ顔とリアル顔の微妙なバランスが難しい。この日米ギャップですが、ボーダレスの時代に反してどんどん広がっているようにも思えます。
クリエイティブに関する価値観でも日本はガラパゴス化しているようです。
ユニクロの服とは何か
ユニクロの服とは、服装における完成された部品である。
ユニクロの服とは、人それぞれにとってのライフスタイルをつくるための道具である。
ユニクロの服とは、つくり手ではなく着る人の価値観からつくられた服である。
ユニクロの服とは、服そのものに進化をもたらす未来の服である。
ユニクロの服とは、美意識のある超・合理性でできた服である。
ユニクロの服とは、世界中のあらゆる人のための服、という意味で究極の服である。
これが英語では以下のように簡潔に・・・。日本語から英語へ翻訳する際に、どうすればちゃんと通じてまとまりが良い英文になるかの参考資料にもよさそう。
Uniqlo is the elements of style.
Uniqlo is a toolbox for living.
Uniqlo is clothes that suit your values.
Uniqlo is how the future dresses.
Uniqlo is beauty in hyperpracticality.
Uniqlo is clothing in the absolute.
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